韓国の詩を・・・・・どうぞ読んでください

2021年2月23日
韓国の60代のオンニから頂いたメールです。
私もこの詩を読んで感じることが多いです。
翻訳せずに読んでいただくともっと深~~い感情が起こるのですが、なぜか翻訳すると微妙に感情が変わるんです。これが言葉の持つ力なのか!!

작고하신 박완서 작가의 글인데 읽고 또 읽어도 구구절절 공감이 갑니다.

**** 일상의 기적 ****

박완서

덜컥 탈이 났다.
유쾌하게 저녁식사를 마치고 귀가했는데
갑자기 허리가 뻐근했다.

자고 일어나면 낫겠거니 대수롭지 않게 여겼는데
웬걸,
아침에는 침대에서
일어나기 조차 힘들었다.

그러자
하룻밤 사이에
사소한 일들이
굉장한 일로 바뀌어 버렸다.

세면대에서
허리를 굽혀 세수하기,
바닥에 떨어진 물건을 줍거나
양말을 신는 일,
기침을 하는 일,

앉았다가 일어나는 일이
내게는 더 이상 쉬운 일이 아니었다.

별수 없이 병원에 다녀와서
하루를 빈둥거리며 보냈다.
비로소
몸의 소리가 들려왔다.

실은 그동안
목도 결리고,
손목도 아프고,
어깨도 힘들었노라,
눈도 피곤했노라,
몸 구석구석에서 불평을 해댔다.

언제까지나
내 마음대로 될 줄 알았던 나의 몸이, 이렇게 기습적으로
반란을 일으킬 줄은
예상조차 못했던 터라
어쩔 줄 몰라 쩔쩔매는 중이다.

이때 중국 속담이 떠올랐다.
“기적은 하늘을 날거나
바다위를 걷는 것이 아니라, 땅에서 걸어 다니는 것이다.”

예전에 싱겁게 웃어 넘겼던 그 말이 다시 생각난 건,
반듯하고 짱짱하게 걷는 게 결코 쉬운 일이 아님을 실감하게 되었기 때문이다.
괜한 말이 아니었다.

‘아프기 전과 후’가
이렇게 명확하게 갈리는 게 몸의 신비가 아니고 무엇이랴!

얼마 전에는 젊은 날에
윗분으로 모셨던 분의 병문안을 다녀왔다.

몇년에 걸쳐
점점 건강이 나빠져
이제 그분이
자기 힘으로 할 수 있는 것은
눈을 깜빡이는 정도에 불과했다.

예민한 감수성과
날카로운 직관력으로
명성을 날리던 분의
그런 모습을 마주하고 있으려니,
한때의 빛나던 재능도 다 소용 없구나싶어
서글픈 마음이 들었다.

돌아오면서
지금 저분이 가장 원하는 것이 무엇일까 생각해 보았다.

혼자서 일어나고,
좋아하는 사람들과
웃으며 이야기하고,
함께 식사하고,
산책하는 등
그런 아주 사소한 일이 아닐까.

다만 그런 소소한 일상이 기적이라는 것을 깨달았을 때는
대개는 너무 늦은 뒤라는 점이 안타깝다.

우리는 하늘을 날고
물 위를 걷는 기적을 이루고 싶어 안달하며 무리를 한다.

땅 위를 걷는 것쯤은
당연한 일인 줄 알고 말이다.

사나흘 동안
노인네처럼 파스도 붙여 보고
물리치료도 받아 보니 알겠다.

타인에게 일어나는 일은 나에게도
일어날 수 있는 일이라는 것을…

크게 걱정하지 말라는 진단이지만
아침에 벌떡 일어나는 일이 감사한 일임을
이번에 또 배웠다.

건강하면 다 가진
것이다.

오늘도
일상에 감사하며 살자!

지금, 감사를 느끼고 계시는지?

우리들이 입으로는
감사를 외치지만
진정으로 느끼는
사람은 적은 것 같다.

안구 하나 구입하려면
1억이라고 하니
눈 두개를 갈아 끼우려면 2억이 들고

신장 바꾸는 데는
3천만원,

심장 바꾸는 데는
5억원,

간 이식 하는 데는
7천만원,

팔다리가 없어
의수와 의족을 끼워 넣으려면
더 많은 돈이 든답니다.

지금!
두 눈을 뜨고
두 다리로
건강하게 걸어다니는
사람은
몸에 51억원이 넘는
재산을 지니고 다니는 것과 같습니다.

도로 한 가운데를 질주하는
어떤 자동차보다 비싼
훌륭한 두발 자가용을 가지고 세상을 활보하고 있다는 기쁨을 우리는 잊지 말아야겠습니다.

그리고
갑작스런 사고로
앰뷸런스에 실려 갈 때
산소호흡기를 쓰면
한 시간에 36만원을 내야 한다니

눈, 코, 입 다 가지고
두 다리로 걸어 다니면서 공기를
공짜로 마시고 있다면
하루에 860만원씩 버는 샘입니다.

우리들은 51억짜리 몸에
하루에 860만원씩
공짜로 받을수
있으니
얼마나 감사할 일인가요?

그런데 왜
우리는
늘 불행하다고
생각하는 걸까요?

그건
욕심 때문이겠지요.

감사하지 못하는 사람에게는
기쁨이 없고,
기쁨이 없으면 결코 행복할 수 없습니다.

감사하는 사람만이
행복을 누릴 수 있고,
감사하는 사람은
행복이라는 정상에
이미 올라가 있다고 생각합니다.

세잎 클로버는 행복!
네잎 클로버는 행운?

행복하면 되지
행운까지 바란다면 그 또한 욕심이겠지요.

오늘부터
지금부터
숨 쉴 때마다
감사의 기도를 드려야겠습니다.

逝去された作家パク·ワンソさんの文章ですが、何度読んでも共感できます。

***** 日常の奇跡 *****

パク·ワンソ

突然体がおかしくなった。
愉快に夕食を終えて帰宅していたら
急に腰がだるくなった。

寝て起きれば治るだろうから大したことないと思っていたのに
どうしたんだろう。
朝はベッドで
立ち上がることさえ難しかった。

すると
一夜にして
些細なことが
すごいことに変わってしまった。

洗面台で
腰を曲げて顔を洗う、
床に落ちた物を拾ったり
靴下を履くこと、
咳をすること、

座って起きることが
私にとって、もはや、たやすいことではなくなった.

しょうがなく病院に行ってきて
ぶらぶらと1日を過ごした.
初めて
体の音が聞こえてきた。

実はずっと
首も痛いし、
手首も痛いし、
肩もこっていた。
目も疲れた。
体の隅々で不平を言いだした.

いつまでも
僕の思い通りになると思った僕の体が、 こうやって奇襲的に
反乱を起こすとは
思いも寄らなかったことで
いても立ってもいられなかった.

この時、中国の諺が思い浮かんだ。
奇跡は空を飛んだり
海の上を歩くのではなく、地面を歩くのだ。

以前に軽く笑いとばしたあの言葉をまた思い出したのは、
まっすぐに歩くことは、決して容易なことではないと実感したからだ。
とんでもない話ではなかった。

「体調を崩す前と後」が
このように明確に分かれるのが、体の神秘でなければ何であろうか!

ついこの間は 若いころに世話になった方の
お見舞いに行ってきた。

数年にわたって
だんだん健康が悪くなる。
もうあの方が
自分の力でできることは
瞬きをするぐらいのことだった。

鋭敏な感受性
鋭い直観力で
名を馳せた方の
そんな姿と向き合っていると、
ひとときの輝いた才能もすべて無駄だと思う
悲しい気持ちになった.

帰りがけに
今あの方が一番望んでいるのは何かを考えてみた。

一人で起きて、
好きな人たちと
笑いながら話して、
一緒に食事して、
散歩するなど
そんなに些細なことじゃないか。

ただそんなささやかな日常が奇跡だと悟った時は
大抵は遅すぎるという点が残念だ。

僕たちは空を飛んで
「水の上を歩く奇跡」を成し遂げたくて むずむずする。

地面の上を歩くくらいは
当然のことだと思ってだ。

3、4日間
老人みたいにサロンパスもつけてみて
理学療法も受けてみると分かる。

他人に起こることは私にも
起こりうることだということを…

そんなに心配するなっていう診断だが、
朝に起き上がれることが、ありがたいことであると
今度また学んだ。

健康であるなら、すべてを持っている
のである。

今日も
日常に感謝しながら生きよう!

今、感謝を感じていらっしゃるのでしょうか?

私たちの口からは
感謝を叫ぶけど
心から感じる
人は少ないようだ。

眼球一つ購入するには
1億だって。
目を2つ交換するには、2億がかかって

腎臓を変えることには
3千万ウォン,

心臓を変えるには
5億ウォン,

肝移植には
7千万ウォン,

手足がない。
義手と義足を挟み込むには
もっとたくさんのお金がかかるそうです。

今!
両目を開けて
両足で
元気に歩き回る
人は
体に51億ウォンを超える
財産を持ち歩くようなものです。

道路の真ん中を疾走する
どの車よりも高い
素晴らしいツインカーを持って世の中を闊歩している喜びを私たちは忘れてはいけません。

そして。
突然の事故で
救急車で運ばれる時
酸素呼吸器を使えば
一時間に36万ウォン払うなんて

目、鼻、口の中で。
両足で歩きながら、空気を
ただで飲んでるなら
1日に860万ウォンも稼ぐ泉です。

僕たちは51億の体に
一日860万ウォンずつ
ただでもらえる
あるから
どんなに感謝することですか。

ところでどうして
私たちは
いつも不幸だと
考えてるんでしょうか?

それは
欲のせいでしょう。

感謝できない人には
喜びがなくて、
喜びがなければ決して幸せではありません。

感謝する人だけが
幸せを享受できて、
感謝する人は
幸福という頂上に
すでに上がっていると思います。

三葉のクローバーは幸せ!
四つ葉のクローバーは幸運?

幸せならいいよ。
幸運まで願ったら彼もまた欲張りでしょう。

今日から
これから
息をするたびに
感謝の祈りをしなければなりません。

NAVERの翻訳機が一番性能がいいですね。韓国語しかわかりませんが。

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こちらもとっても良い詩です。
生徒さんに教えて頂いた詩人です。
勉強になります。ありがとうございました。
共有できればと思いお送りしました。

76年前(1945年)の今日2月16日、福岡刑務所で一人の #詩人 が獄死しました。#尹東柱 #ユンドンジュ 27歳の若さでした。
同志社大学文学部に在学中の1943年7月14日、ハングルで詩を書いていたことを理由に逮捕されました。
治安維持法違反で懲役刑を宣告され、福岡刑務所に投獄、1年もたたないうちに帰らぬ人となりました。真相は分かっていません。

民族への思いと平和への願いをこめた詩の数々を当時禁じられていたハングルで毅然と書き続けた詩人。
あれから76年の歳月が流れましたが、今もその清冽な詩と生涯が多くの人々の心をとらえ続けています。

#たやすく書かれた詩
#쉽게씌어진시
尹東柱(伊吹郷訳)

窓辺に夜の雨がささやき
창밖에 밤비가 속살거려
六畳部屋は他人の国、
육첩방(六疊房)은 남의 나라,

詩人とは悲しい天命と知りつつも
시인이란 슬픈 천명인 줄 알면서도
一行の詩を書きとめてみるか、
한 줄 시를 적어 볼까,

汗の匂いと愛の香りふくよかに漂う
땀내와 사랑내 포근히 품긴
送られてきた学費封筒を受け取り
보내주신 학비 봉투를 받아

大学ノートを小脇に
대학노트를 끼고
老教授の講義を聴きにゆく。
늙은 교수의 강의 들으러 간다.

かえりみれば 幼友達を
생각해 보면 어린때 동무를
ひとり、ふたり、とみな失い
하나, 둘, 죄다 잃어버리고

わたしはなにを願い
나는 무얼 바라
ただひとり思いしずむのか?
나는 다만, 홀로 침전하는 것일까?

人生は生きがたいものなのに
인생은 살기 어렵다는데
詩がこう たやすく書けるのは
시가 이렇게 쉽게 씌어지는 것은
恥ずかしいことだ。
부끄러운 일이다.

六畳部屋は他人の国
육첩방은 남의 나라
窓辺に夜の雨がささやいているが、
창 밖에 밤비가 속살거리는데,

灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、
등불을 밝혀 어둠을 조금 내몰고,
時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、
시대처럼 올 아침을 기다리는 최후의 나.

わたしはわたしに小さな手をさしのべ
나는 나에게 작은 손을 내밀어
涙と慰めで握る最初の握手。
눈물과 위안으로 잡는 최초의 악수.

「最後の亡命者」鄭敬謨、半世紀にわたる苦行を終える
2/17(水) 14:29配信
ハンギョレ新聞

在日評論家の在日評論家の鄭敬謨氏死去 横浜の自宅で老衰のため  1970年、朴正煕軍事政権から逃れ 1989年「文益煥・金日成主席会談」に同席 民主化以降も「自首書」求められると 「転向・裏切りできない」署名拒否し続け 昨年帰国を推進したが、コロナのため叶わず

「私が行けないわけじゃない、行かないのだ」

朝鮮半島分断史の悲劇を象徴する「最後の亡命者」が半世紀以上も帰国できないまま異国の地で永眠した。在日の統一運動家であり言論家の鄭敬謨(チョン・ギョンモ)氏が16日、横浜の自宅で死去した。享年97歳。

故人の長男の鄭剛憲(チョン・ガンホン)さんは同日この日、「父が昨年秋から肺炎で入退院を繰り返し、今日未明に日吉の家で死去した」と伝えた。1970年に日本に渡った鄭氏は、朴正煕独裁を批判する言論活動を広げ「政治的亡命」を選んだ。1989年に平壌(ピョンヤン)を訪問し、故文益煥(ムン・イクファン)牧師と共に金日成(キム・イルソン)主席の「4・2共同宣言」を引き出した鄭氏は、民主化以降も「国家保安法起訴中止」の壁にぶつかり、51年が過ぎても帰国できなかった。

「順法誓約書よりもっとひどいのが自首書だ。スパイだったから自首しろってことじゃないか。私が何の過ちを犯したからといってスパイだと自認しろというのか。あの頃、文牧師がソウルに戻った時にどれほど苦役を受けたか改めて実感した。腹が立ったが、自ら怒りを抑えた。あの時言われた通りに判子を押していたらパスポートはもらえたかもしれないが、自分で自らの存在を否定し文牧師を辱め、民主化勢力全体を裏切ることはできなかった。それで終わりだった」

2009年にハンギョレの「道を探して」で回顧録を直接執筆し、大きな反響を呼んだ故人は、2003年に韓国の情報機関が要求した「自首書」の署名を拒否したエピソードを公開し「日本の地に骨を埋まる」という決意を見せた。

特に「ろうそく革命」で発足した新政権が2018年の「4・27南北首脳会談」に続き、朝米首脳会談まで実現させたときは「死ぬ前に70年間の朝鮮戦争が終わる瞬間が見られるようだ」と感激していた。しかし、文在寅(ムン・ジェイン)政権の情報機関でも依然として法的手続きの解消を前提に掲げて足を引っ張ると「私が望んで金もなく出世もしなかったし、私が行かないことにしたのだから悔いはない」とし、“妥協”を拒否した。

しかし、昨年初めにがん発病などで故人の老衰が進むと、家族や知人などを通じて法的手続きの受け入れ意思を伝えてきた。しかし今回は、新型コロナウイルスの大流行のために推進議論が先延ばしになった。ついに彼は「最後の亡命者」として残った。

1924年、ソウルで敬虔なキリスト教の家の長男として生まれた故人は、慶応大学医学部に留学し、解放直前に帰国した。李承晩(イ・スンマン)政権初の国費奨学生として、米エモリー大学に留学中に朝鮮戦争が起こると、東京のマッカーサー司令部に召喚された。文益煥、パク・ヒョンギュ牧師などと共に通訳官として服務し、1951年の板門店休戦会談に陪席し「38度線」で朝鮮半島が分かたれる現場を目撃した。故人は「あの時痛感した悲哀と米国に対する怒りが、『朝鮮半島統一』という民族的課題を自ら背負い、『時代の不寝番』として生きるようにさせた」と吐露した。

1972年、『ある韓国人のこころー朝鮮統一の夜明けに』(朝日新聞社)を皮切りに日本で著述活動をしてきた彼は、1980年代、海賊版として先に出た『断ち裂かれた山河』で韓国国内に名を知らしめた。ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』(第1巻)を日本語に翻訳している。1981年頃から日本語雑誌『シアレヒム(粒の力)』を独自発行し、言論活動を続けた鄭氏は、韓国で発行した『日本の本質を問う』『今度はアメリカが答える番だ』などの著書を通じて、私たちが知らなかったり間違っていた韓国現代史の真実を明らかにしてきた。

2010年に「道を探して」の連載を集めた『時代の不寝番』(ハンギョレ出版社)に続き、2011年には日本語翻訳版『歴史の不寝番(ねずのばん) ー「亡命」韓国人の回想録』(藤原書店)が出版された。全10巻の(ファン・ソギョン)の大河小説『張吉山』日本語訳の出版と、生涯最後の宿題として執筆してきた『韓日古代史の秘密』は未完の遺作となった。

遺族は慶応大学時代に下宿先の娘で縁があった同い年の日本人のである妻の中村千代子さんと息子の剛憲さん、雅英さん(立命館大学教授)。葬儀は家族葬として日本で行う予定だ。

キム・ギョンエ記者