月麓 やりたいことの記録

2018年2月24日

ほぼ、個人的な資料が「ひょっこりはん」のごとく目の前に現れてきて、ずっと気持ちの中ではこれやりたいなって思っていることを記録しておきます。何年後にかなうのか???

ソウルに住んでいるときからだから、もう10年以上も前から調べてみたいことがあったんです。

タイトルまで決めて「뿌리를  잦아라」根っこを探せ。

むか~~しむかし、善徳女王、武烈王、金庾信、が登場する時代にいた、

元暁がんぎょう、ハングル表記 원효、)のことを調べたかったんです。

元暁はんは、花郎にも入っていて、武術もなかなかで、男前だったそうです。

元暁

元暁(ウォンヒョ)は僧侶ではあったものの、王の娘の瑤石(ヨソク)公主と結ばれ、その間に薛聰(ソルチョン)という息子が生まれました。

そしてその後、破界僧となった彼は、大きな瓢箪を手に村々を歩き、民衆の中にとけこみ、歌を歌い、踊りを踊りながら仏を説きました。
小性居士, 卜性居士と呼ばれた彼の姿は奇人と呼ばれましたが、仏教の教理を歌の文句にした「無碍歌」は国中で歌われ、「南無阿弥陀仏」の念仏が人々の口から自然に出てくるようになりました。
元暁は仏教の大衆化に勤めた高僧でした。

元暁は617年に慶尚北道(チョンラブクド)押梁(アプリャン)面で生まれ、幼い時の名前は 薛誓幢(ソルソダン)でした。
幼い頃から武芸と学問に秀でた彼は花郎(ファラン、新羅時代の貴族の子弟の組織)になることを夢見ていました。
しかし戦場で多くの人々が命を落とす様子を見て人生に対する懐疑を抱き、31歳で出家し、僧侶となります。
法名は最初の暁を表す元暁でした。
34歳になった650年には義湘(ウィサン)とともに唐への留学を試みます。
しかし途中の高句麗でスパイに間違えられ、1ヶ月間の牢獄生活のあげくに新羅に戻ってきます。
そして10年後の660年、45歳という年齢で再び唐へ行こうとします。
今回も義湘とともに慶州を出発した元暁は、唐に向う道筋で戦争や飢餓に苦しむ貧しい民衆を目にします。
そして現在の京畿道(キョンギド)華城(ファソン)近くを通り過ぎる頃、一夜を過ごすために洞窟に入っていきました。
夜中に目を覚ました元暁は喉が渇き、手元近くにあった水を飲んで眠りますが、翌朝、それが骸骨にたまった水であることを知り、
「すべては己の心の中にあるのみ、事物自体にはきれいも、汚いもない」という「一切唯心造」の大きな悟りを得て、留学を断念します。

その後はまた庶民の中に入り、仏教の大衆化に尽くします。
当時の仏教の経典は漢字で書いてあり、それを読み解く僧侶の話も民衆には難解でした。
そのため彼は、貴族の宗教にとどまっていた仏教を庶民にも分かる方法で分かりやすく説いたのでした。
しかし一方では、 「和諍思想(どちらか一方に傾くことなく、一つの心になりながらもその差は認める真の統一原理)」を追求し、唐から入ってきた「金剛三味経」を王や高僧の前で論じるなど、貴族の中にも仏教を広めました。
その後、晩年には仏教経典の解説書を数多く残し、686年に穴寺で70歳の生涯を終えます。

*************************************************************

瑤石公主(ヨソクコンジュ)は、3日間だけしか元暁とは過ごしていなく、その間に子供をもうけたそうで。この公主はんも魅力的です。

瑤石公主が住んでいたところが後程、慶州崔氏富子家 경주최씨(慶州崔氏)부자집といわれ300年続いてた有名なおうちになり、2008年にいったころは韓食のレストランになっています。

 

元暁⇒瑤石公主⇒薛聰  ⇒慶州崔氏富子家 경주최씨(慶州崔氏)부자집 ⇒ 現在 とこんな構成で調べてみたかったんです。いつかできますようにとの思いも込め残っていた写真をアップします。まさしく私個人のための内容です。

キョンジュの食べ物と、薛聰の墓と瑤石公主の家の韓食レストランへ行った時の写真です。(2008年)

慶州地方の料理とは言えないんですが、伝統料理です。

CIMG1966 CIMG1967 CIMG1968 CIMG1969 CIMG1970 CIMG1971 CIMG1972 CIMG1973CIMG1974CIMG1975CIMG1976CIMG1977CIMG1978CIMG1979CIMG1980CIMG1982CIMG1981CIMG1983CIMG1984CIMG1985CIMG1986CIMG1987CIMG1988CIMG1989CIMG1990CIMG1991CIMG1992CIMG1993CIMG1994CIMG1995CIMG1996CIMG1997CIMG1998CIMG1999

真平王の墓とその近くにある薛聰の墓です。薛聰の墓は住宅地の中なんですよね。山ではなかったですが広かったです。

CIMG1903 CIMG1904 CIMG1906 CIMG1907 CIMG1910 CIMG1909 CIMG1911CIMG1908CIMG1916

韓食レストランへ行った時の写真 「瑤石宮」

CIMG1956 CIMG1957 CIMG1955

CIMG1918 CIMG1922 CIMG1917 CIMG1924 CIMG1925 CIMG1926 CIMG1927 CIMG1928 CIMG1929 CIMG1930 CIMG1931CIMG1932CIMG1933CIMG1934CIMG1935CIMG1936CIMG1937CIMG1938CIMG1939CIMG1944CIMG1945CIMG1946CIMG1947CIMG1949CIMG1950CIMG1951CIMG1952CIMG1953CIMG1954CIMG1923